妊娠13週で、子宮筋腫核摘出主術を受けた時の体験です。
私は医療者ではありませんし、主観的な内容ですので、あくまでも参考としてご覧下さい。


入院中に書いた日記がありますので、今後UPしていきます。





はじめに

妊娠し、もともと子宮にあった筋腫がホルモンの関係でどんどん大きくなっていき、それに伴い激痛、38.5度の高熱の日々、つわりの悪化などでつらい思いをしました。
仕事も継続出来なくなり、激痛で夜も眠れず(当然昼間も眠れず)、ベットの中で1人で痛みに耐えていました。
夫が朝、私のことを心配しながら出勤し、帰宅してからは一生懸命に看病してくれました。
通っていた産婦人科で子宮筋腫の摘出手術は可能か聞いたところ、「それは中絶をするということ」と言われ、一旦は諦めましたが、こんなに医学の発達した時代に摘出手術または、痛みを緩和するようなものがないなんておかしいと思い、夫と必死に調べたところ、東京渋谷の日赤医療センターで筋腫の摘出手術を受けられること知り、夫と相談し、日赤に行くことにしたのです。
とりあえず、主治医に日赤で一度診てもらいたい旨を伝えたところ、紹介状と日赤医療センターの産科部長である杉本先生に予約をいれてくれました。
日赤で摘出手術をしているのを知っているのならもっと早く教えてくれればいいのにと後から思いました。というのも通常この手術は13週までに行うものだそうで、私は日赤に行った日がちょうど13週当日でした。
(この辺は当時の日記をもとに内容をUPしていきます。)


今思うこと

今思い返してみると、いろいろと勉強になったり、感謝したりしたことがたくさんありました。
まずは、夫への感謝・・・妊娠が分かってからほぼ寝たきりになった私を懸命にサポートしてくれたこと。ほんとうに有り難いと思いました。
先生や助産師さんたちへの感謝・・・夫も私も口には出さなかったけど、日赤でだめだったら体力的に限界でしたので中絶するつもりでした。このことは、産後ある程度経ってから夫が話し、私も同じ思いだったことを話しました。手術後私たち夫婦が日常生活をおくることが出来たのも、子どもを無事に産めたのも、先生や助産師さん方のお陰です。
同じ症状で入院していた方々への感謝・・・つらい寂しい入院生活もお互い励ましあって笑顔で過すことが出来ました。

その他、友人や家族、同僚など多くの方に支えられました。

そして加藤眞由儒さん・・・妊娠初期の面談で「今後安静が必要になるけれど、お子さんは無事に産まれますよ」と言われ「大丈夫、大丈夫、この子は産まれてくる」と信じていました。ちなみに「病院はとても良いです。先生は厳しい」とも言われましたが、最初ははじめに通っていた産婦人科のことだと思っていましたが、日赤の杉本先生のことだったのですね。厳しいかな?確かに助産師さんたちへは厳しかった・・・。でも私は好きなタイプでしたね。

私の幼少時は両親が離婚したり、父が働かなかったり、兄に暴力を振るわれたり、生活の為中学からバイトをしたりでつらいこともありました。
会社に入ってもパワハラなど当然色々ありますよね。こじ付けのようですが、そういったネガティブな気持ちをうまく消化できればよかったのですが、私の場合、自分の身体の中、女性として大切な器官、子宮の中に少しずつ溜め込んでいったのだと思います。
私の人生は夫と出会ったことで、大きく変わりましたが、出産する前にこれら今までの人生の恨み、辛み、憎しみ、妬みなどを溜め込んだ筋腫を物理的に捨て去るようになったのだと思っているのです。

妊娠中に手術なんてしないで済むならしないほうが、良いのですが、夫が「それでもいろいろ勉強になった。」と明るく話すとおり、本当にいろいろ勉強になりました。



※この時の体験を当時の日記を参考にUPしていきたいと思います。



追記
私はたまたま手術で筋腫を取り除きましたが、小さい筋腫や閉経後にホルモンの関係で筋腫自体が小さくなることを見越して、そのままにしておく
という選択ももちろんあります。
子宮筋腫合併妊娠
HOME
妊娠13週で手術をして摘出した、
「子宮筋腫」の写真はこちらです。

かなり強烈な写真なので
各人のご判断のもとに
自己責任でご覧下さい。
inserted by FC2 system